HEARTS/Double Bside

HEARTS
Double

Singalong

2016,07,23
ザ・フォーク・クルセダーズ
「悲しくてやりきれない」

今回は、日本音楽界の革命児と言われたザ・フォーク・クルセダーズについて書いていきたいと思います。

さて、ザ・フォーク・クルセダーズ(通称フォークル)と聞いて、どんな曲を思い出しますか?もしくは知っていますか?

1960年代の後半から1970年代にかけて、当時はテレビが一家に1台普及し出した時代でもあり、世間の興味はテレビへと移行していましたが、サブカルチャーや音楽に興味のある若者たちは、まだトランジスタラジオで情報を収集していました。

そんな最中の1967年、関西ラジオ局を経由してあっという間に日本じゅうに広まり、オリコンチャート史上初のミリオン・シングルとなった曲があります。

「帰って来たヨッパライ」です。

「おらはしんじまっただー、おらはしんじまっただー」というフレーズに、少し小馬鹿にしたような声のトーンは、一度聞いたら耳から離れない。さらに、ビートルズの「A Hard day’s Night」をお経にして最後に歌ってしまうあたりは、誰も考えつかない発想力とかなりのセンスです。

まさに新しい時代の到来を告げる「変な歌」の登場でした。

1965年、大学生だった加藤和彦、北山修、平沼義男、井村幹夫、芦田雅樹の5人で結成されたアマチュアバンドは、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトのもとに当時は「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗り、関西のフォークアンダーグラウンドシーンで活躍していました。
1967年、バンド解散を記念して自主制作盤アルバム「ハレンチ」を制作。このアルバムの中に、先ほど紹介した「帰って来たヨッパライ」そして「イムジン河」(のちに政治的背景から発売禁止に。そして放送禁止曲にまで指定される)が含まれていました。

一度は解散した「ザ・フォーク・クルセイダーズ」ですが、ラジオでアルバム「ハレンチ」の楽曲が取り上げられるようになり、社会現象をおこすほど話題となります。

そんな中、解散後のメンバーにプロデビューの話が持ち込まれます。加藤和彦は難色を示しますが、北山修による説得を受け入れて、急遽、1年間だけの活動という約束で、東芝音楽工業よりでメジャーデビューをします。その後も名曲を世に送り出しますが、当初の約束通りデビューから1年後の1968年10月17日、大阪で”さよならコンサート”を開き、その日の夜には日本テレビ「11PM」に出演、それを最後に解散しました。プロになってからの実質的なバンド活動期間はわずか10ヶ月という短さでした。

シングル2作目に予定していた「イムジン河」は13万枚ものレコードがプレスされ、店頭に並ぶ2日前に事件は起こります。政治的な背景から発売が差し止められてしまったのです。
この緊急事態の中で急いで作られた曲が、今回紹介したい一曲です。

「悲しくてやりきれない」

iTunes


この曲との出会いは高校生の時に見た映画、本木雅弘主演の「シコふんじゃった」でした。

たしか主人公が悩んでいるシーンだったと記憶しているのですが、そのシーンでこの曲が使用されていてあまりにもその時の自分に中に響いたので、急いでCDを買いに行ったのを覚えています。が、しかし歌っていたのは、おおたか静流というアーティストでした。少し前まではこの方がオリジナルだと思っていたのですが、映画「パッチギ」を公開時に観たときに、あるワンシーンでオダギリジョーが「悲しくてやりきれない」を歌っていたのです。
「パッチギ」を見たことで13、4年越しにこの曲に出会い、調べてみたところザ・フォーク・クルセダーズにたどりついたのです。

前述の「イムジン河」発売直前に、ニッポン放送の重役から急に会議だと呼び出された加藤和彦は「イムジン河」は発売できないと告げられます。

そして、次を作れ、とも。

3時間あげるからと、伝えられたのちに重役室に鍵をかけられ軟禁状態での曲作りを始めるものの、全くひらめきません。そこで「イムジン河」のメロディを拾って譜面に書き音符を逆からたどって遊んでいたところ、そこから閃き「悲しくてやりきれない」のメロディが出来上がったそうです。

さあ、あとは歌詞を考えねば。

出来上がったメロディーを聴いた重役は、そのまま加藤和彦を連れてサトウハチロー(「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」といった童謡、そして終戦後に日本に大流行した「りんごの唄」で知られる)のところへ作詞を頼みに行きます。

1週間後、サトウハチローの歌詞ができあがってきました。

 

胸にしみる 空のかがやき

今日も遠くながめ 涙をながす

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

このやるせない モヤモヤを

だれかに 告げようか

 

試しにそれを歌ってみた加藤は大いに驚かされたそうです。まるで最初から詞があったかのような、直すところなくその詩はメロディにはまったのです。この曲が世に出て、半世紀近く経ちますが、吉田拓郎を筆頭におおおたか静流、奥田民生、夏川りみなど数多くのシンガーに歌われており、今ではかなりのポピュラーソングとなりました。

一度聴いたら忘れられない、どこか懐かしい感じ・・・・皆さんもそうだと思いますが、好きな曲って聴いていた当時のいろんな記憶、そして匂いを思い出させてくれます。僕はこういう匂いのする音楽が本当に大好きなんだなぁと改めて実感しました。

ちなみにこちらが、おおたか静流バージョンです。

 

長くなりましたが最後に。

41歳の僕にとって、ザ・フォーク・クルセダーズの中心人物であった加藤和彦は、そんなに身近な存在ではありませんでした。
ザ・フォーク・クルセダーズ解散後も、名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を生み出したり、サディスティック・ミカバンドを結成して新しい波を起こしたり「後ろは振り返らない。同じことはしない」が加藤和彦のモットーだったそうです。

ただ残念なことに、加藤和彦は2009年10月自ら命を絶ちました。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」と綴ってあったといいます。

以前、「プラスチックス」について書いたことがありました。
いつの時代にも先を行く感覚を持ち、それを体現し世の中に影響を与え、時代を作ってきた人たちがいます。でも、そういう人たちって、きっとそうなりたくてそうなったのではなく、ただ信じるものを突き進んでブレなかっただけだと思うのです。
もちろん、運だったり、タイミングだったり、その時の見えない重なりもあるとは思うのですが。
せめて・・・自分もそういう方々と同じくらいの熱量を持って一生懸命ヘアスタイルを作らなければと、今回の記事を書きながら改めて思わされたところで終わりにしたいと思います。

Toru Ukonさん(@ukonjapan)が投稿した写真 - 2015 10月 23 3:17午前 PDT


written by 
Double / 西村光太郎