HEARTS/Double Bside

HEARTS
Double

Singalong

2017,01,14
Cyndi Lauper
Girls Jast Want to Have Fun

遅咲きのスーパースター、シンディ・ローパー。

 

Cyndi Lauperさん(@cyndilauper)が投稿した写真 - 2016 5月 7 12:24午後 PDT

 

無数の音楽番組が存在していた1984年。
アイドル全盛でもあった当時に、彼らが司会をし、コントもして歌も歌うという、最近では当たり前になったスタイルの番組がすでにありました。

日曜の夜NHKで放送されていた「レッツゴーヤング」。次の日に学校で見た?って話題にのぼることもある番組だったので、必ずチェックしていました。

ある日の放送を見ていると私は結構な衝撃を受けることになります。

ド派手な衣装に真っ赤に染めたの髪。
左右で色の違うラメラメなアイシャドウの外国人シンガーが、完全アウェイな空気の中、独自のスタイルでノリノリにパフォーマンスする姿がブラウン管に写しだされていたのです。

アイドル目的で来ていたその場の観客達は「この外人誰 ??」って感じでただただ眺めている。そんな会場の空気をものともしない彼女の姿。
独特な歌声にダンス、中学生の私にはそれがもの凄くカッコよく見えました。
決まって次の日、学校で友達にこの興奮を話すと皆の反応は意外に薄く、この興奮をわかちあえずにがっかりした記憶だけが今でも残っています。

それがシンディ・ローパーの歌う「 Girls Jast Want to Have Fun 」(邦題:ハイスクールはダンステリア)でした。

 

ニューヨークはブルックリンの生まれ。

幼少期に両親が離婚。それを期に、弟達とクイーンズに移り住むも都会育ちの彼女はなかなか環境に馴染めず、いつも場違いな感覚にとらわれていた彼女は周囲からはちょっと浮いた存在で、他人からは変わり者を見るような視線を常に感じていたそうです。
17歳になったシンディは、歯ブラシ、替えの下着、オノ・ヨーコの著書である「グレープフルーツ」を持って愛犬スパークルと共に家を後にします。
※「グレープフルーツ」はシンディにとって、芸術を通じて人生を見る為の窓だったと語っています。

その後は、バンドのバックグラウンドシンガー、小さなクラブやディスコで歌い続ける日々。喉を酷使したため声帯を損傷し、一時は二度と歌う事が出来ないとまで言われていましたが、クラッシック音楽のヴォイストレーナーの指導のもと1年後には再び歌える様にまで回復します。

1977年、「ブルーエンジェル」を結成。バンドのコンセプトは、シンディが聴いて育ったロカビリーをニューウエーブに乗せ、バンドのサウンドで蘇らせるというもの。
1980年にポリドールから念願のメジャーデビューを果たすも、ロカビリーは古いとされあまり受け入れられず。自分の考えを主張し、人の言う事をあまり聞かないシンディに持て余し気味だったポリドールは彼らのバンドから手を引きます。

(当時ロカビリーバンドとしてブライアン・セッツァー率いるストレイキャッツがいましたが、これもまたニューヨークでは古くさいとされ全く受け入れられずに彼らは渡英。のちにイギリスから世界へ羽ばたく事になったのです。)

 

解散後、マネジメント業を営むデビット・ウルフと知り合い、彼の紹介でポートレートレコードと契約。エグゼクティブプロデューサーで後のフーターズとなるリック・チャートフ、ロブ・ハイマンの協力のもと、1983年アルバム「シーズ・ソー・アン・ユージュアル」でソロデビュー。

この時シンディ、30歳。同じ年にデビューしたマドンナとは何かと比べられもしていましたが、マドンナは25歳。今だと25歳でも遅めかなぁって思っちゃうけど、かなりの遅咲きってことがわかります。

 

Cyndi Lauperさん(@cyndilauper)が投稿した写真 - 2017 1月 13 4:30午後 PST

 

そしてそのアルバムから最初にシングルカットされた曲が「Girl Just Want to Have Fun」でした。当初は男性視点の歌詞で作られていたこの曲でしたが、シンディ・ローパーバージョンとして彼女自らが歌詞変更し女性の社会的地位に対する賛歌として発表。

深夜のMTVで内輪向けに流されていましたが、すぐにヘヴィーローテーションされるようになり1984年のビデオオブザイヤーに輝くまでの大ヒットとなります。
古着のワンピースで踊っている彼女の可愛さが際立っていて、とてもハッピーな気持ちにさせてくれるこのPV。
他にもたくさんの女性が登場していますが、みんな個性的。シンディ自身もそんな印象で、自分らしくでいいんだという答えを貰った気がしました。

邦題は「ハイスクールはダンステリア」。後にカタカナ表記のタイトル(ガール・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン)に変更されていますが、なんでこんな似ても似つかない意味不明なタイトルになってしまったのか・・・直訳すると「楽しい人生を送りたい女の子」。どうせ邦題をつけるならこっちの方がしっくりくるなぁ。邦題あるあるですね。

そして彼女は大の親日家でもあります。売れなかった頃、ニューヨークにあるジャパニーズレストランで働いた経験があり、その時のオーナーがどんな時も励まし応援してくれたことが、大きく影響しているようです。

紅白歌合戦のためにわざわざ来日して出場したり、阪神淡路大震災に対しての寄付や来日公演など彼女の人柄を表すエピソードは多くありますが、特に印象的なのは2011年に起きた東日本大震災の際の彼女の行動です。多くの外国人アーティストが公演をキャンセルする中、成田空港が閉鎖されていたにもかかわらず米軍横田基地に降り立ってまで予定通りツアーを行い、多くの日本人が勇気を貰ったことは記憶に新しい出来事です。

 

現在63歳のシンディ・ローパー。今彼女が夢中なのはピンクだそう。若さの秘訣は何事も楽しむこと。彼女のように素敵に歳を重ねられたらなぁ。

 

Cyndi Lauperさん(@cyndilauper)が投稿した写真 - 2016 5月 31 9:58午前 PDT

 

 

written byHEARTS / 田中直美