Ludwig van Beethoven

Ludwig van Beethoven

「Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125」 Ludwig van Beethoven

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲 「 交響曲第9番二単調作品125 」

2014年も残すところ1週間となりました。毎年この時期になると聞こえてくるこの曲。
一般的には「 第九 」と短縮して呼ばれている楽曲ですが、[なぜ年末に第九?] むしろ年末にしか聞いた事ないかも。そんな疑問を持たれたことはないですか。

今回はそんな疑問も、少しだけひも解いてみようと思います。

「 交響曲第9番二単調作品125 」通名「第九」

4つの楽章からなる、この「第九」の演奏時間はおよそ70分あまり。ベートーヴェンの交響曲のなかでは最長の楽曲です。
初演は1824年 本人立ち会いの下、ウィーンのケルントネル門劇場で行われました。
この初演は見事成功をおさめますが、その後の公演は全て失敗に終わります。
失敗の要因としては 第四楽章の4人のソリストによる突然の合唱があまりにも異質だった為という説が残されています。
ベートーヴェン自身、評判の悪かったこの第四楽章を、器楽のみの編成に書き直す計画を何度も立てたようですが、全曲が秘めているパワーに確信を持っていたワーグナーが、全楽章を復活演奏したことにより、その素晴らしさを世に知らしめることになります。フリードリヒ・フォン・シラーの「歓喜に寄す」という詩に、ベートーヴェンが編集し曲をつけたものが第四楽章「歓喜の歌」。ヨーロッパではヨーロッパ全土を讃える歌とされていて、ベートーヴェンの故郷ドイツでは祝祭時に演奏されています。

 

そして、この第四楽章こそが、年末に私達がよく耳にしている「第九」なのです。

 

1770年 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはドイツのボンに祖父、父、共に宮廷歌手という音楽一家に生まれます。呑んだくれてろくに仕事もしなかった父親は、その当時世間を騒がせていた天才 [ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ]にヒントを得て、自身の息子にも音楽のスパルタ教育を始めます。第二のモーツァルトを目指すべくピアノを教え込み、ベートーヴェンは7歳で演奏会ができるまでに。当時、一家の家計は祖父が支えていましたが、頼りにしていた祖父が亡くなるとその役目は10代になったばかりのベートーヴェンに回って来ます。

 

16歳になったベートーヴェンは、ウィーンにいる憧れのモーツァルトに弟子入りを希望するも、母親の病が悪化し、やむなくボンへ戻ります。22歳 ハイドンに才能を認められ、弟子入り。そこで多くを学び、ピアノの即興演奏の名手としての名声を手に入れます。

 

そんな頃、自分の耳が聞こえづらいことに気付きます。難聴を自覚してからは、症状が日に日に悪化。30歳になる頃にはほとんど聞こえなくなっていたようです。「音が聞き取りにくい」から、「音が聞こえない、音が出たのが分からない」になっていくというのは、音楽家の彼にとって致命的なダメージであったに違いありません。

 

そこからの作曲活動はというと、タクトを口に加えそれをピアノに接触させ歯を通して振動を感じとる、いわゆる骨伝導で行っていたとされる一説があります。1816年、メトロノームの発明により視覚的にも音を感じられるようになり、晩年の作曲におおいに役立ったようです。

 

日本での[ 年末=第九 ]という図式はこんなことからできたと言われています。
1943年 太平洋戦争の悪化で法文系の学生にも徴兵令が下り、春の卒業式を12月に繰り上げ、東京音楽学校(現 東京芸術大学音楽部)の奏楽堂で行われた学徒壮行音楽会。この時に、第九の第四楽章で卒業と出征を祝ったとされています。戦後、無事生還した者達が別れた時と同じ12月に、帰還が叶わなかった友へのレクイエムとして「第九」を演奏。その後、当時貧しかったオーケストラが、年末に「第九」を演奏しながら地方を回ってお正月のお餅代を稼いでいたようです。

 

こんないきさつも含め、あまり明るい始まりではないのですが、歌詞の内容が喜びの歌であり1年を締めくくるのにふさわしいというところから[ 年末=第九 ]が定着したものと思われます。

 

 この「 交響曲第9番二単調作品125 」にはこんな逸話も残されています。
1980年当時、フィリップス社とソニーで共同開発が進められていた記録用CD。
初めてできた記録用CDの録音時間は74分前後、現在では80分のものもありますが実はこの記録時間の決定までには両社での論争があり、フィリップス社は60分前後、ソニーは74分前後を主張していました。ソニーの開発者は74分前後ならばたいていのクラッシックやオペラの楽曲も記録できるということでこの長さを主張。それを決定づけたのが「第九」の楽曲の長さだったというのは有名な話。演奏時間がトータル70分程の交響曲第9番、あの指揮者カラヤンの推しもありこの長さに決まったようです。

1770年ー1827年 ベートーヴェンと同じ時代にはこんな出来事が。
初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンによるアメリカ独立宣言。フランス革命からのナポレオンの活躍から転落など。中でもフランス革命は自由・平等・友愛を掲げた市民による革命で、これにより時の国王ルイ16世とその家族達が幽閉、処刑に処されました。そうとうな浪費家であったとされる王妃マリー・アントワネットは、特に民衆達の反感をかっていたようです。貴族など後ろ盾がある音楽家が多かったこの時代にベートーヴェンは、珍しくパトロンを持たない音楽家でした。宮廷音楽家だった父親への反発だけでなく、パトロンを持つことが時代遅れになりつつあることを悟ったのでは?とも思います。
事実、これにより王制が廃止され、新しい時代が訪れています。

 

ベートーヴェンの主な作品としては、あの有名な「運命」やドラマ「のだめカンタービレ」のテーマに「交響曲第七番」も使われています。クラッシックって敷居が高いように思いますが、実は聞いたことがある曲ってけっこうあるんです。

もうちょっと勉強してみたくなりますね。


田中直美

 

次回更新は1月7日です。みなさま良いお年を!