
Y.M.O
1970年代後半から1980年代初頭。
ミュージックシーンにおいて、サザンオールスターズやRCサクセションがヒットチャートを席巻し、第1次バンドブームが起きていた日本。
それと同時にテクノ/ニューウェイヴといったジャンルが日本のミュージックシーンにムーブメントを起こしていたこと、ご存知ですか?
バンドブームという大きな波にのまれ、あっという間に日本のメジャーシーンから影を潜めてしまったジャンル、テクノ/ニューウェイヴ。
そして現在。
中田ヤスタカによるプロデュース 、きゃりーぱみゅぱみゅやPerfume 等の楽曲が世間的に大ヒットし、このジャンルは再び日の目を浴びる事に。
この、テクノ/ニューウェイヴというジャンルにおいて、日本での火付け役となったのが、細野晴臣(エレクトリックベース、シンセベース)、高橋幸宏(ドラムス・ボーカル)、坂本龍一(キーボード)の3名からなる「イエロー・マジック・オーケストラ(Y・M・O)」でした。
日本のロックミュージックシーンのさきがけと言われるバンド「 はっぴーえんど 」で既にメジャーデビューしていた細野晴臣が、シンセサイザーやコンピューターを用いた音楽に興味を持ちだし、当時、自身のソロアルバムのレコーディングに参加していた高橋幸宏、坂本龍一に先述のような新たな音楽のコンセプトを伝えたところ、両者はそれに賛同。
1978年に「 Y・M・O 」は結成されることになります。
当初「 Y・M・O 」は細野主体の企画ものバンドという構想で、参加メンバーもランダムに変わる予定でしたが、1980年発表のアルバム「 ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー 」のヒットにより思いがけないムーブメントを巻き起こすことになるのです。
今回は、このアルバムから発表された2枚目のシングル、「 RYDEEN 」をご紹介。
この曲、居酒屋で高橋幸宏が歌った鼻歌をその場で坂本龍一が紙ナプキンに採譜し、翌日にはスタジオで完成させてしまったという逸話もありますが、「日本発信」のディスコ・ミュージックを念頭に置いた制作された楽曲だったので、もともとは「 雷電 」という和風なタイトルでした。
当初、坂本龍一は江戸時代後期の浮世絵師である歌川広重の作品「東海道五十三次」のイメージを「 雷電 」に重ねていたようで、「浮世絵が世界の画家(ゴッホやモネ)に影響を与えたように、自分達の楽曲も世界に影響を与えられたら」という思いを重ねて作ったと、後に発言もしています。
そんな思いもあった楽曲「 雷電 」。
制作当時、日本のアニメ「 勇者ライディーン 」が放送されていてこれが海外でも大ヒット。
前述でもあるように世界を視野に入れていたので、「ならばこっちの方がいいんじゃない?」という細野の一言で「 雷電 」から「 RYDEEN/ライディーン 」という呼び名に変更したようです。
英米ではこのような音楽のことをシンセポップやエレクトロポップと呼びますが、日本では電子楽器を使ったポピュラー音楽という観点から「 テクノポップ 」と呼ばれています。
これは、「 クラフト・ワーク 」( ドイツが生んだテクノの神様と言われるバンド。NYタイムスはエレクトロ・ダンス・ミュージックのビートルズと評しています)が1978年にリリースされたアルバム「 The Man Machine 」のレビューで、ロック評論家である阿木譲が「 テクノポップ 」という言葉を使ったのが始まりとされていて、これをいたく気に入った坂本龍一が、さまざまな媒体で「 テクノポップ 」という呼称を使用し、そして一般に定着したようです。
「 テクノポップ 」は完全なる日本語英語、いわゆる造語なんですね。
そしてこの曲、意図的に盛り上がるように作られた楽曲なので否応無しに盛り上がる。
とにかく盛り上がる笑。
私の中学校では運動部が大きな大会に出場する前には必ず壮行会が開かれ、その時、吹奏楽部が「 RYDEEN 」を演奏し選手達にエールを送っていました。少なくとも、私が中学に在学中は決まって「 RYDEEN 」でした。
先生の趣味だったのか、演奏しやすかったからなのか?真相はあきらかではないですが、少なくとも、後の第2次バンドブームがやってくるまでは演奏され続けていたようです。
そして注目すべきは、やはりヘアスタイル。
ショートスタイルでかつ、もみあげを水平にそり落とす「テクノカット」はYMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知され、オシャレに敏感な若者達はこぞってマネをしていました。
80年代前半の原宿はというと、週末になると表参道が歩行者天国になり、その通称ホコ天に竹の子族登場。竹下通りにあるブティック竹の子が勢力を伸ばす中、「Y・M・O」出現でのテクノブーム。
1983年に解散( 彼らは、「 散開 」と言っている )するまで、このブームは続きます。
このY・M・Oの散開と共にテクノブームも終息を迎え、その後の原宿は?というと・・・
とんでもないというか、、今思えば面白い時代に入ります。中盤にはギャルソンやY's、BIGIといったデザイナーズブランドが世の中を席捲。鎧のようなブランド服に身を包んだ若者が増え、その洋服の色から「カラス族」とも言われていました。
経済的にも、80年代後半にはいよいよ、あの夢のような、本当に夢だったんじゃないかと思ってしまうバブル期が到来。「ワンレン、ボディコン」という言葉が生まれ、それはそれは、、国民が浮き足立った時代でした。
色んなものがウェルカムな80年代にピッタリとはまったY・M・Oとテクノブーム。
あの頃のようには戻らなくとも、また面白い時代がやってきそうな予感がする今日この頃です。