
Stevie Wonder
Stevie Wonder 『Don’t You Worry ‘Bout A Thing』
アシスタントの頃、なにごとも勉強と夜な夜な通いつめた西麻布界隈。
音楽の趣味に物凄い偏りをみせていた当時の私が、夜のクラブ活動と称し通っていたのはロンドンナイトと呼ばれるイベント。
(一番有名なロンドンナイトは、新宿ツバキハウスで行われていた大貫憲章さんのロンドンナイトでしたが、当時の私はロンドンナイトと銘打つものはすべて行っていました)
そこでは、私の好きな最新のブリティッシュロックや、パンクミュージックばかりがもちろん流れていましが、そんななか、場の空気を変える為だったのか、絶妙のタイミングでかかるソウルミュージック。
毛嫌いすらしていたのに、ちょっとしたことがきっかけで興味がものすごく湧いてくることってありませんか?私にとってのそれが、ブラックミュージックと呼ばれるソウルミュージックやR&Bといったジャンルのものでした。
ソウル・ミュージックは1940年後半にジャズやブルース、ゴスペルから発展し生まれた、R&B(リズム&ブルース)の流れを受けて、1950年から60年初期にかけて生まれたジャンル。ロックンロールと並び黒人由来の音楽がポピュラーミュージックとして広く知られるようになります。大好きなロックのアーティスト達も多大な影響を受けていたことを知ると、のめり込むのに時間はかかりませんでした。
そんな時期によく立ち寄っていたクラブでかかっていたのがスティービー・ワンダーの曲だったのです。
1950年、スティービー・ワンダーは早産で生まれ、保育器内での過量酸素が原因による未熟児網膜症により間も無く視力を失います。
物心つく以前から見えなかった目に代わり、類稀な音楽センスを神から与えられたと言われています。
1961年、彼が11歳の時、自身で作曲した曲をミラクルズのロニー・ワイトの前で歌ったことがきっかけで、ワイトがスティービーと母親をモータウンのオーディションへ連れていきます。
生まれながらにして目の不自由な少年が、あらゆる楽器をマスターし自在に演奏する姿は、多くの聴衆を魅了すると確信していたモータウンがスティービーを放っておくはずがありません。白人社会への浸透を目論んでいた新興レーベルにとって、この少年はまたとない逸材でした。
翌1962年、モータウンと契約。12歳でリトル・スティビー・ワンダーの名でモータウンの中のTamlaレーベルからデビューします。
13歳でビルボード1位を獲得し、早くから名声を得てしまった彼ですが( この最年少記録は未だ破られていません。)ミュージシャンとしての努力を怠らず、好奇心を持って次々と新しいことにチャレンジをしては、「 My Cherie Amour 」や「 A Place In The Sun 」など、ソウルミュージックっぽくない曲も発表し続けています。
目が不自由だったことがプラスに働いていた時代が過ぎ、ミュージシャンが音楽を演奏するだけではすまなくなってきている現在でも、活躍し続けているスティービー・ワンダー。
全てがデジタル化している今だからこそ、あの時代のあの音が新鮮で輝いて感じるのかもしれないですね。
Uptight、A Place In The Sun、My Cherie Amour、Stay Gold、Superstition などなど、名曲がてんこ盛りのスティービー・ワンダー。その中でも隠れた名曲( というか、私が一番好きな曲、笑)「 Don’t You Worry ‘Bout A Thing 」を紹介します。
この曲は、彼の黄金期真っ只中の1973年に発表されたアルバム「 INNERVISIONS 」に収録されていて、夜のクラブ活動の場で本当によくかかっていました。この曲が流れると、ほとんどのお客さんはそこでクールダウン。でも、私は音を楽しめるこの空気感が、なんとも言えず心地良かった。
邦題が「くよくよするなよ」っていうところも、その頃の私の心情を表しているようで・・元気が出る1曲ですね。
近年、ONE OK ROCK(ワンオク)なる若者に大人気の日本のバンドが、スティービー・ワンダーの「 To Feel The Fire 」をカバー。今放映中のキリンFireのCMでオリジナルの楽曲が使われていますが、ワンオクの曲をスティービー・ワンダーがパクったと若者達が大激怒しているという面白い現象が起きているそうです。
「はぁ~、分かってないなぁ」と思いつつも、大人なのでそんなことをとやかく言う気もさらさらありませんが。笑
若者達には、これをきっかけに他の楽曲もどんどん聞いて、音楽の幅を広げて欲しいなと心底思うのです。このように多くのアーティストにカバーやサンプリングされているスティービーですが、やはりオリジナルが一番と思わせる凄さが彼にはあるんですね。
ミュージシャンだけでなくソングライターとしてもいち早く人種の壁、ジャンルの壁を越えたクロス・オヴァーな黒人アーティストのスティービー・ワンダー。音だけで判断する彼にとって、それを演奏している人の肌の色は全く無意味なこと。そこには彼が生まれつき目が不自由だったことが関係していたんではないでしょうか?
色んなことに興味を持って柔軟で、好奇心旺盛に過ごすことがいつまでも輝き続けていける秘訣かもしれませんね。