
Carpenters
Carpenters 「Top of the World」
14 年間という活動期間のなかで
Top of the World
Yesterday once more
I need to be in love
といった数々のヒット曲を作り出したカーペンターズ。
今週ご紹介するのはカーペンターズのTop of the Worldです。誰もが一度は聴いたり、歌ったりと、知らない人はあまりいないと思います。
カーペンターズは兄リチャード・カーペンターと妹カレン・カーペンターの兄妹からなるポップスデュオで、楽曲を兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカルを妹のカレンが担当していました。とくに、カレンの歌声に関しては、ポールマッカートニーや、ジョンレノンなどの大物ミュージシャンが絶賛したほど。
カレン・カーペンター。彼女は、1970年代当時、女性ボーカルとしては革命的な3オクターブの音域の持つヴォーカリストでした。当時、女性としては低い音域が歌える歌手が少なかった事に加えて、兄リチャードの提供する楽曲が彼女のもつ力を存分に引き出す事で、見事にその才能を開花させます。
10代の頃に本格的にボイストレーニングに行ったカレンは、すぐに「あなたに教える事は何もない」と先生に言われてしまうほど、その素質は元々あった様です。
カレンは、もともと天才と呼ばれた兄に影響を受けた事がきっかけで歌いはじめますが、カーペンターズとしては段々とカレンの歌声の方が高い評価を受けはじめるようになります。歌う時の発音に関しても100年に一度、現れるかどうか?というくらい美しいとされ、一言一言を大事にする歌い方はとても耳に入りやすく、英語圏外の人が英語の曲に慣れる為には最適と言われているほど。日本人では、中学校や高校の英語の授業などでも歌った人も多いのではと思います。
しかし1983年2月4日、カレンの急な死により、カーペンターズはその活動に終止符を打つことになります。
早々と20代前半で世界的ヒットを飛ばし大スターになったカレン。1980年、30歳の時に結婚しますが、この頃からしだいに心の病に冒されぎみになり、結婚1年後には夫とは別居。ニューヨークにて拒食症の治療を受けますが、離婚手続き直前の1983年2月4日、拒食症からくる心臓発作で残念ながら亡くなってしまいます。
常に人に見られる立場の職業である事、芸能界という事でファッションやモデル業界の人々と頻繁に会う機会があった事、音楽誌に「太っちょ」などと書かれた事が原因だったようです。
デビュー当初の映像で見る限り、特別太っても見えないし、70年代ファッションが流行りつつある今
レトロな髪型
ワイドパンツ
ヒッピースタイル
オールデニムファッション
私にはとってもお洒落で可愛く見えてしまうのですが。
しかし、カレンの歌声は今もなお沢山の人を魅了し続け、数々のミュージシャンがカーペンターズの曲をカヴァーしています。少し脱線してしまいますが、、
その中でもこのTop of the Worldをカヴァーした『少年ナイフ』という日本人のガールズバンドを少しだけご紹介します。
大阪の原っぱで演奏しているところをスカウトされた少年ナイフ。その当時の経歴も面白く、タイガー魔法瓶に勤務する会社員でした。国内よりも海外での人気が高く、あのニルバーナのカートコヴァーンも少年ナイフのファンで、ライブでは少年ナイフの「ツイスト・バービー」をカヴァーしたほど。
(ちなみに少年ナイフとニルバーナは一緒に全米ツアーまで行っています。)
主にアメリカのアーティストが参加したカーペンターズのトリビュートアルバム「If I Were a Carpenter カーペンターズに捧ぐ」に唯一日本人アーティストとして参加した少年ナイフは「TOP OF THE WORLD」をカヴァー。これが米マイクロソフト社の全世界に向けたCMに使用され一躍有名になります。
日本でも2005年にサントリーのチューハイのCMソングや、1997年より放送された「学校へ行こう」の人気コーナー「未成年の主張」のテーマ曲にも使われていたので、聴いたら分かる人も多いのでは。
イントロの音がポップでカッコ良く、当時は何度も聴いていました。カーペンターズがどんなに有名でも、リアルに聞いていた世代ではなかった私にとってのTop of the Worldは、カーペンターズよりもキャッチーで、ゆるっゆるの英語で歌っていた少年ナイフでした。
そしてこのイントロ、大阪の御堂筋線の電車の接着音でもあります。笑
まさに日本での1995 年から2000 年くらいにかけては少年ナイフを始め、ハイスタンダードやオートマチックスなど、海外の曲をカヴァーしている日本人インディーズバンドが流行っていた時代だったので、後にオリジナルを知ったという事も良くありましたね。
いきなりオリジナルを聴くのはちょっと時代性も違ってハードルが高いけど、カヴァーなら今風で聴きやすい、、みたいな、ものがあったのかもしれません。
そして、あれから10 数年、やっとオリジナルの良さが分かり始めた気がします。
当時、ホワイトハウスやディズニーランドでの演奏を許された唯一のミュージシャンでもあり、口ずさみやすい音域のメロディーで皆に親しまれていたカーペンターズ。きっと、カレンが亡くなった時の衝撃は当時の音楽業界にとって相当な物だったに違いありません。
そんな世界に評価されるアーティストの本当の素晴らしさに気づいた時、ちょっぴり大人の仲間入りをした気がしたのです。