
Beastie boys
Beastie boys「Sabotage」
音楽史上、最後に生まれたジャンルと言われるヒップホップ。
では、ヒップホップとはどういう背景から生まれたのか? 今回はそんなところから始めたいと思います。
もともと、ヒップホップは黒人文化から派生した音楽ジャンルと言われています。
70年代当時、アフリカ系アメリカ人の若者達はディスコに行くお金がありませんでした。
そこで、家からターンテーブルを公園に運び、外灯のコンセントから電源を取り、さも「青空ディスコ」のようなことをして遊んでいました。
流れていた音楽といえば、ファンクであったり、ソウルであったり……。
そのリズムに合わせてラップやダンスを取り入れていったのです。

Beastie boys結成当時の80年代のアメリカといえば、まだまだ人種差別が激しい時代であり、黒人であるというだけで虐げられていた時代。
そんな時代背景もあってか、ヒップホップで成功した黒人は、マッチョな体にキラキラのごついアクセサリーという、それはまるで自分の成功や力を誇示するかの様なファッションに身を包みながら機関銃の様にラップをするというスタイル。
そんなスタイルがごく典型的なヒップホップのスタイルであり、まさしくヒップホップは黒人のための音楽ジャンルというアピールでもありました。
しかし、Beastie boysは違いました。
ユーモアとアイディアを武器に持った彼らは、ソウルやファンク、ジャズのビートにのせてラップをするそれまでの従来のスタイルではなく、ハードロックのビートにラップをのせることで当時のヒップホップの固定概念を次々と打ち壊して行ったのです。。
元々ハードコアパンクバンドとしてスタートした経歴を持つ彼らにとってはごく自然な流れだったのでしょうが、当時としてはかなり型破りで革新的。
「白人のもの」というイメージのハードロックと「黒人のもの」というイメージのラップを見事に融合させたのです。
白人で、しかも体系もひょろっとした三人組がラップを打つさまは、見た目も内容も従来のヒップホップイメージとかけ離れており、歌詞の内容もあまりのおふざけな内容。

結成当初は『本格的なヒップホップと言うにはハードロック的だし、ハードロックとして考えればあまりにもオリジナリティがないというかショボい、音楽が分かっていないヤツら』と、揶揄される事も。
しかし、まわりの批判とはうってかわって、ヒップホップアーティストとしては初の全米1位の快挙を1stアルバムでいきなり成し遂げてしまいます。
そう、それまではタブー扱いされていたような「白人のヒップホップ」を世界中に認めさせたの瞬間だったのです。
その後も彼らの独特のユーモアとセンスはとどまる事をしらず、数々の名作を生み出して行きます。
そして、彼らのユーモアとセンスが核融合し、それを凝縮させたのが4thアルバム、「Ill Communication」です。
アルバムの内容はというと、自身の演奏によるパンク・ラップや、ハモンド・オルガンを使った60sのレア・グルーヴ調のもの、スクラッチが冴え渡るヒップホップ本来の醍醐味を伝えるものまで幅は広く、Beastie boysそのものが、ヒップホップという存在を超えた、ひとつの音楽ジャンルとして認知されたアルバムとなります。
捨て曲いっさいなしで、すべてが名曲といえるアルバムですが、彼らの核融合がもっとも爆発しといえるのが、今回紹介する「sabotage」。
彼らの真骨頂ともいえるハードロックのリズムにラップをのせたスタイルの完成系と言えると思います。
ライブでは必ずと言っていい程演奏されるこの曲。
2005年の日本武道館でのライブでももちろん演奏され、そのときの盛り上がりは凄まじいもので、日本武道館が揺れたと言われています。
「この時は本当に凄かったんだ!アルバムの曲順どおりroot downからsabotageになる時の、あの感動といったら・・・
なにしろ前曲のDJセットがステージごと反転してバンドセットに変わったんだ!そこからのsabotageだよ!想像つく!?
武道館が壊れるかと思うような盛り上がり方だったよ!」(HEARTS店長 高田昌宏 談)
「このライブは人気がありすぎてチケットがなかなかとれなくて・・・結局とれたチケットは最後尾。でも、この曲が始まったとき、一番後ろにいた僕らも、気付いたら最前列でダイブしていたよ!」(HEARTS副店長 石原慎太郎 談)
そして特筆すべきはこのミュージックビデオ、監督はなんとあのスパイクジョーンズが担当しています。
(マルコビッチの穴やかいじゅうたちのいるところの監督として有名。その他数々のミュージックビデオも手がけています。)
(マルコビッチの穴やかいじゅうたちのいるところの監督として有名。その他数々のミュージックビデオも手がけています。)
C級刑事ドラマ風の内容のこのビデオ。
当時アメリカで問題になっていた警察の不祥事を揶揄したような内容で、社会問題を皮肉っぽく表現しながらも彼らなりの表現で問題提議をしていますが、笑いの要素も忘れない。


彼らのブラックユーモアがしっかりと表現された内容でこのビデオだけでも十分に楽しむ事ができます。
余談ですが、彼らが結成当時好んではいていたadidasのスニーカー。ビースティーボーイズの人気とともにこのスニーカーも当時大人気となります。
最近復刻され、また流行していますね。持っている方も多いのではないでしょうか?

常に好奇心を失わず、アンテナを張り続け、何がかっこよくて、何がかっこわるいかを常に自分たちのアンテナで判断してきた彼ら。
新しい時代をつくる存在には常に障害がつきものです。
ですが、戦ったり、壊したりするのではなく、自分たちの方法で飄々と積み重ね、確固たる地位を気付き上げたBeastie boysこそが、ミクスチャー時代と呼ばれた90年代を象徴するHEROなのではないかと僕は思います。