The Clash
The Clash 「London Calling」
時はまさにパンク前夜と呼ばれる1976年。とあるボーカリストがロンドンのナッシュビル・ルームで当時まだ無名であったSex pistolsと共にライブを行い、強い衝撃をうけます。
彼の名はジョー・ストラマー。
そして、彼はそのライブに聴衆で来ていたミック・ジョーンズ、ポール・シムノンに誘われる形でバンドを結成。
The Clashは誕生します。
以前にも書きましたが1970年代のイギリスといえば経済不況真っ只中。
若者のフラストレーションは爆発寸前。
若者の代弁者であった彼らは必然的に、パンクムーブメントの中核へと押し上げられていきます。
1stアルバム「The Clash(白い暴動)」2ndアルバム「Give Em Enough Rope(動乱 獣を野に放て)」を発表。
ストレートな歌詞を引っさげ、王道パンクロックを地で突き進み、なかでも2ndアルバムに収録される「All The Young Punks」は、当時パンクス達のアンセムとして掲げられるほどに。
そして。
このパンクムーブメントでイギリスが最も燃えていた1979年、後に伝説となる3rdアルバム「London Calling」を発表するのです。
従来のパンクロックイメージそのままの破壊と反抗を連想させるこのジャッケットデザイン。
しかし、デザインとは裏腹に、これまでのアルバムとは全く異なった曲調のこのアルバム。
いわゆる王道パンクロック調の曲はあまり収録されておらず、ロカビリーやレゲエ、ダブなど様々な音楽をパンクに融合させ、新境地を開拓したのです。
しかしこの音楽性が当初イギリスのパンクス達には受け入れられず、”クラッシュはもはやパンクではない”と批判を浴びるほどでした。
がしかし、ジョーストラマーはそんな批判に対して
「Punk is attitude.Not style(パンクはスタイルではない、姿勢だ)Do it your self(自分で考え行動を起こす精神こそがパンクだ)」
と一蹴。
そんな行動も支えてか、この3rdアルバムがThe clashとして発表したアルバムの中で最高売り上げを記録。パンク史上最高の名盤と評価されるのですから、世間の評判などあてにならないものです。
このアルバム制作中の逸話としてこんな事が残っています。
ある日、ジョーストラマーが新聞を読んでいると見出しに大きく「London calling」の文字が。
(London calling : イギリスの放送局である BBCが第二次世界大戦中に使っていた空襲を知らせるアナウンス。)
当時のイギリス情勢に対して、刺すようなタイトルに強い衝撃をうけたジョー・ストラマーは、アルバムタイトルとしてこのまま起用。この曲が冠曲となります。
このアルバムがThe Clash自身、どれほど前衛的であり、どれほど験的なアルバムであったかは、計り知れません。その後も数々の挑戦と実験を繰り返し、No futune を歌い、退廃的パンクスの象徴であったセックスピストルズとは相反し、Do it yourselfを掲げたThe Clashは左系の社会派パンクバンドとして全世界に認められていきます。
(皮肉にも湾岸戦争時、アメリカ軍の爆弾に4thアルバムに収録された曲名である「ロック・ザ・カスバ」と記され、空爆のテーマソングとして使われたことを知ったジョーストラマーは、ひとり、涙したというエピソードも残っています。)
活動期間10年の中で、London Calling以降、数々の実験的音楽を創り上げていきますが、3rdアルバムほどの評価を得る事はなかなか出来ず苦難の時期が続きます。最後のアルバムとなった5thアルバム"cut the crap"は発売当時全くと言っていい程評価されませんでしたが、今聴くとほんとうに素晴らしい曲ばかりで、このアルバムアートワークはパンクそのもの。
しかし、メンバー脱退、セールス不調により1986年に解散。
どんな状況でも信念を貫き「Punk is attitude.Not style」を体現し続けたジョー・ストラマーのファン達にとっては、本当に惜しまれた解散となりました。
解散こそしましたがジョーストラマーの姿勢は後のアーティストたちに多大な影響を及ぼし、数々のフォロアーを生み出します。Red Hot Chill PeppersやBEASTIE BOYS、U2など多くのアーティストが影響を受けたと公言しており、 甲本ヒロトは「ジョーストラマーのようになりたい、それは彼の音楽やファッションを真似る事じゃなく、誰の真似もしないことだ」と語っています。
The Clash解散後、ジョー・ストラマーはなおも挑戦を続けますが、なかなか納得のいくものが出来ず、後に彼自身が”荒野の時代”と呼ぶほどの暗黒の時期入ります。そんな苦難の時期に彼に手を差し伸べたのもまた、The clashのフォロワーであり彼から多大な影響をうけたRancidのティム・アームストロングでした。
彼なしでは今の音楽シーンは成り得なかったと公言し、彼に恩返しをすべく自身のレーベルから作品を発表するなど、完全なるバックアップ体制ををつくります。
そしてThe Clash解散から15年のブランクを経て新バンドを結成。
すでに伝説化していたジョー・ストラマーであれば、名前だけでも売れそうなものですが新しく結成したバンドのために小さなライブハウス周りやビラ配りなども行う徹底ぶり。それから2002年に心臓発作で亡くなるまで、彼はD.I.Yの精神を貫き続け、その信念を曲げる事は決してありませんでした。
「やるしかないんだ。トライしないやつに何がいえるんだ。行動することこそがパンクだ」
ジョー・ストラマーこそがパンクスの象徴的存在であり、漢の中の漢だと僕は思います。本当に良いものや新しいものが生まれる時、必ず壁が立ちはだかりますが、信念をもって貫き続ければ必ず誰かに認めてもらえる。
ジョー・ストラマーの生き方から本当に大切な事を教えてもらえたような気がします。