JANIS JOPLIN
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、私がプロフィール写真で持っているLPアルバム
ジャニス・ジョップリンの 「 PEARL 」
今回はここから1曲、紹介したいと思います。
JANIS JOPLIN 「 MERCEDES BENZ 」
1960年代を代表する歌手、ジャニス・ジョップリン。
彼女の魅力は何といっても圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声。デビューした当初、多くのリスナーがその歌を聴き「白人があんな風に歌えるわけがない」と誰もが思ったが故に、その存在を黒人のブルース歌手だと疑わなかったそうです。
後に彼女は白人ながらにして、その魂のこもった歌声から「ブルース・ロックの女王」と呼ばれました。
ブリティッシュロックばかりを聴きまくっていた10代。
私がジャニス・ジョップリンを知るきっかけになったのは、ウッドストックのライブ映像でした。
上京し、初めて勤めたお店の先輩に、なかば強引に渡されたウッドストックのVHSビデオ。
当時ブリティッシュロックばかりを聞いていた私は、アメリカンロックには全く興味がなかったのですが、その先輩の手前もあり軽い気持ちでウッドストックの映像を見ることになりました。
そして、嫌々ながらに見た映像の先に映っていたものといえば、、
広大なライブ会場、熱狂した群衆、それらをものともせず自分の世界にドップリ浸かって演奏しているミュージシャン達。
そこには、一切のうそがない現実がありました。
あんなに大規模な野外ライブの映像を見るのも初めてなうえに、あの開放感溢れる時代背景、どのミュージシャンのパフォーマンスも目をみはるものがありましたが、女性ヴォーカルがあれ程にもパワフルに歌いあげるライブを見たのも初めてでした。
これが私のジャニス・ジョップリン初体験でした。
(このフェスティバルで一番有名なシーンは、ジミヘンドリックスががギターをステージ上で燃やすところですね)
ウッドストックをきっかけに、ジャニスをはじめこのステージに出演していた他のミュージシャンやバンドもいわゆるアメリカの音楽も聴くようになり、私の音楽の幅はいっきに広がりました。
そしてこの当時のアメリカの西海岸の時代背景はというと、若者を中心とした「フラワームーブメント」という社会的な動きが起こります。
ヒッピーと呼ばれる若者達が 「 ラヴ&ピース 」を合言葉にベトナム戦争反対を訴え、アウトローな共同生活、コミューンを作ります。
サンフランシスコにあるヘイト・アシュベリー地区がヒッピー発祥の地として有名ですがまさしくそこに住んでいたジャニスは際立った存在だったようです。
ボサボサに伸びきった髪にサイケデリックなファッション。
お世辞にもキレイとは言いがたいルックスですが、現在では 日本国内でも夏フェスの時期になるとそんな雰囲気を取り入れたファッションの女のコ達が急増します。
1970年、ジャニスはアルバム「Pearl」の制作のために滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡しているのが発見されています。
手にはタバコを買った時の釣り銭、4ドル50セントが握られ、傍らには封の切られていないマルボロが転がっていたといいます。
ジャニス・ジョップリン27歳。ドラッグの過剰摂取でした。
「有名になり欲しいものは何でも手に入れられた。ただ一つ彼女の手に入らなかったのは愛、与える愛と受ける愛だった 」
まだ録音の途中だった 「 Mercedes Benz 」。残されていたのはリズムをとる彼女の靴音だけがバックに入っているアカペラの仮録音のものだけ。
結局この曲はこのまま収録され、翌年1971年1月に発表された彼女の遺作となったアルバム「Pearl」は、ビルボード1位を9週にわたって獲得します。
たった3年間という短い音楽活動の中で彼女の残したものはあまりにも大きいものでした。
実は他にも27歳という若さで命をおとしているミュージシャンはたくさんいます。
The 27 Club
27歳で他界したミュージシャンやアティースト達のことを総称してこう呼んでいます。
1969年 ブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズを作った男と言われています。)
1970年 ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン
1971年 ジム・モリソン(ドアーズのヴォーカル)
1994年 カート・コバーン(ここでも紹介したニルバーナのヴォーカル)
2011年 エイミー・ワインハウス
ジャニスだけではなく、才能溢れる人はなぜか生き急いでいるような気がしますね。
[ ねぇ神様、私にベンツを買ってくれない?友達はみんなポルシェだし、巻き返さなきゃ。 ]
歌詞を見るかぎりそんなに深い意味はなさそうだし、だからよけいに自分が死んでしまうなんて思いもよらなかったんじゃないでしょうか。
そんな1曲も彼女の死により特別なものになったような感じがします。
ちなみに、彼女の愛車はド派手なプリントを施した、ポルシェ356Cカブリオレ。
1960年代のアメリカにとってメルセデスは、憧れの車だったんですね。