2016,04,15
PLASTICS
「top secret man」
日本のニューウェイブを語るうえで欠かせない重要なバンドのひとつ、PLASTICS。
同時期にデビューしたYMO、P-MODEL、ヒカシューらと共に次世代の新しいジャンル"テクノポップ"として注目されてたいましたが、その中で最も個性的でファッショナブルなメンバーを揃えていたのが、PLASTICSでした。
プラスチックスは、1977年イラストレーターの中西俊夫(vo/g)、スタイリストの佐藤チカ(vo)、グラフィックデザイナーの立花ハジメ(g)が中心となって結成。その後、佐久間正英(key)、島武実(vox)が加入します。
元々はパンク的なパーティーバンドでしたが、リズムボックスを導入しテクノポップ化していきます。
ピコピコサウンドといえばPLASTICSのアイコンであったくらい。
1979年、イギリスのラフトレードから「copy/robot」で日本に先駆け英国デビュー。翌1980年1月にシングル「top secret man」とアルバム「welcome plastics」を発売し、いわば逆輸入という形で日本デビューを果たします。
ラフ・トレードと言えばTHE SMITH、Aztec Camera、The Pop Groupなどを輩出した英国インディー界の雄ですが、こんなところで日本の音楽と関わりがあるというのはすごいですよね。
1stアルバム発売後、B-52'sとの共演をきっかけとしたUSツアーから、海外での活動が活発化。US/UK大手アイランドレコードとの契約による3rdアルバム『WELCOMEBACK』の全世界発売と前後して、米欧でのリリースツアー、RamonesやTALKING HEADSなど一線級アーティストとの共演など、精力的で国境を超えた活動を展開しました。
しかし、1981年に突如解散。
まずはどういうサウンドだったか、聞いてもらいましょう。
「copy」
これが彼らのデビュー曲「copy」です。
最初に聴いた時はチープなシンセと、リズムマシンの音がすごく新鮮に聞こえたのを覚えています。
1991年当時、僕は高校生だったこともあって、ふざけているのか真面目にやっているのかその境界線が見えませんでした。世間の評価といえば、尖ったものとして評価されていたと思いますが、自分としてはイマイチ理解に苦しんだのを憶えています。今聴くとチープでありながらニヒルなところもあり、それでいてオシャレな感じなのがすごいですね!
そもそも、高校生の僕が何故プラスチックスに出会ったのか。
音楽とスケートボードの事しか頭になかった学生時代、鹿児島にいながらも、感度の高い先輩方が周りにいて、ファッション、音楽、夜遊びと色々と教えてくれました。
その中でも音楽にウルサイ方が多く、ジャンルとしては偏っていたとは思いますが、その中でもMAJOR FORCE というレーベルを勧められます。
MAJOR FORCEとは日本のクラブ・カルチャーの草分けのレーベルと言っても過言ではないレーベルで、のちにECDやスチャダラパーを世に送り出します。当時、このレーベルに関わったアーティストばかりを聞いていて、その中にTYCOON TO$H名義で活動する中西俊夫がいました。そう、PLASTICSの中西俊夫をここで知ることになるのです。
好きになっていくと、ルーツを調べたくなるが僕の性格。そこからはもう、珠数のようにいろんなアーティストを知ることになります。
特に好きだったのがMELON。
元プラスチックスの中西俊夫、佐藤チカらを中心としたセッションバンドで、1982年には細野晴臣、高橋幸宏、土屋昌巳らが参加したアルバム『Do you like Japan?』でレコードデビュー。
と、、書きたい事は沢山あるのですが、それはまた別の機会に紹介したいと思います。
今思えば、好きな曲には中西俊夫が大体絡んでいて、新しいものからどんどん掘り下げていくとPLASTICSにたどり着いた、こういう事なんです。
「top secret man」
日本でのデビューシングル「top secret man」。
いきなりThe Venturesを思わせるようなレトロなギターで始まり、「トットットットットップシークレット」と素っ頓狂な声で叫ぶところが気に入って、結構何度も聴いた記憶があります。
典型的なピコピコ・サウンドのテクノの名盤ですが、精神はオルタナ。ナンセンスな言葉の歌詞、チープなリズム・ボックス・サウンド、聴いたことのないようなギターの音、わざとへたくそに歌っているような歌い方。 すべてが揃って誰とも違う世界を描いています。
べっとりとしないとてもクールな世界。今でもプラスチックスの曲の中では、これが1番好きかもしれません。
長くなりましたが最後に。
PLASTICSは、音だけではなく、ファッション、雰囲気、ひとつ先を行く感覚、それを体現していたバンドでした。プラスチックスとして、音楽はあくまでスタイルの一部だったのではないかと思います。
「今に満足せず、より新しいものを探る」
周りの目を気にせず、自分らのスタイルを信念を持って突き進む。
「テクニックよりもセンス、内容よりスタイル」
表参道、原宿という場所で美容師という仕事をしていくうえで、通じるものがかなりあると思いました。
年は重ねても常に感度は高くあり続けたいものですね。
written by Double / 西村光太郎