2016,08,27
Dub Master X
「SENTIMENTAL DUB」
1982年、日本初といわれているクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」が原宿にオープンしました。
原宿で20年以上働いていると、一度は耳にしたことのある伝説のクラブ。
以前、取り上げたプラスチックスの中西俊夫率いる「MELON」、ヤン富田らとMELONのサイドプロジェクトである「WATER MELON GROUP」、日本初の Dubバンド「MUTE BEAT」坂本龍一などのライブ、日本におけるDJの先駆者として有名な藤原ヒロシや高木完によるDJプレイも行われていました。
また、デヴィッド・バーン(TALKINGHEADS) ジョン・ライドン(SEX PISTOLS、Public Image Ltd) キースへリング、ジャン・ミッシェル・バスキアなど海外からも数多くのミュージシャン、アーティストも「ピテカントロプス・エレクトス」には訪れています。
当時の最先端の音楽、そしてカウンターカルチャーと出会える場所として、82年から84年とわずか2年足らずの営業でしたが、今のクラブシーンに残した爪痕は計り知れないものがあります。
その伝説のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」でアシスタント・ミキサーとして活躍したのちに日本初のダブバンド「MUTE BEAT」にLIVE DUBエンジニアとして参加。MUTE BEAT解散後はDJ、リミキサー、PAエンジニアとして活動。その傍らで作曲、編曲、プロデュース、ラジオ番組制作など幅広く活動している宮崎泉ことDub Master Xについて曲と共に紹介していきたいと思います。
ここで、最初の名前にもある「Dub」とは何の事なのか。
ダブはレゲエから発祥した音楽手法、そして音楽ジャンルで、ダブ制作に関わる音楽エンジニアのことを特にダブ・エンジニアといいます。楽曲(レゲエ)のリズムを強調してエコーやリバーブなどのエフェクトを過剰に施すことで、原曲とは全く別の作品に作り変えてしまう、リミックスの元祖とも言われています。
ダブが世界中に広まるきっかけとなったのは、70年代末から80年代初頭のUKニューウェーブの時代でした。
イギリスではマッドプロフェッサー(音楽プロデューサーでもありレコーディングエンジニア/マッシブアタックやジャミロクアイ、デペッシュモード等リミックスしている)などがデジタル機材を駆使したダブサウンドを創り、ニュールーツと呼ばれるレゲエのサブジャンルを作り上げます。
その時代の有名な所でいうと、ザ・クラッシュが4作目のアルバム「SANDINISTA!」でdubを導入しているのが象徴的です。
ザ・クラッシュ「OneMoreDub」
昔から、イギリスはジャマイカからの移民が沢山いたといいます。Dubというジャンルの発祥には、これが背景にあると考えられていて、これ以降、ダブはイギリスを中心に発展していきます。
そして今回紹介する曲がこちら。
「SENTIMENTAL DUB」
初めて聴いた方も、なぜか懐かしい感情が込み上げてくる、そして夏という季節に聴いてもらいたい、そんな「SENTIMENTAL DUB」。
タイトルにある通り、哀愁感漂う切ないメロディーに、スチールドラムと語りかけるようなトランペットの絡みが印象的な、インストルメンタルです。90年代をある意味象徴する作品ではないかと思います。
夏の夕暮れ前、うだるような暑さの中、この曲をかけて遠い過去の記憶に想いを馳せてみると、なぜか心地よかったりすると思います。
まさしくセンチメンタルなDUB。
1991年に放映されていたテレビドラマ「バナナチップス・ラブ」(高城剛 監督、脚本)」の挿入歌としても使われていて、このときの音楽をDub Master Xと藤原ヒロシが担当していました。
ちなみに、このドラマには、50年代にアメリカで起こった文学運動ビート・ジェネレーションを代表する詩人、アレン ギンズバーグも出演しています。
1993年、Dub Master Xと藤原ヒロシのユニット「LuvMsterX」のアルバムがリリースされ、このアルバムの中でも「SENTIMENTAL DUB」が収録されてますが、アレンジ具合が少し違っていて藤原ヒロシのギターが入るなど、これはこれで完成度は高いと思います。
10代の頃は、インストルメンタルの曲はなにか物足りないというか、聴いてて気持ちが上がってこない感じがして敬遠しがちでした。でも上京して、いろんなジャンル、アーティストの曲を聴いて、作り手の思いや伝えたいことを知ることで自分の音楽に対するアプローチの仕方が変わりました。作り手のバックボーン、時代性、カウンターカルチャーなどを調べて、そこからの枝分かれを聴きまくって掘り下げていく。もちろん王道のロックも好きですし聴きますが、少し背伸びをして、メジャーとマイナーの間というか、自分の中でそういう位置にありそうな音楽を一生懸命聴いていたんだと思います。
90年代、まだインターネットが普及していなかった頃、欲しい情報を得るには、そのジャンルに特化した雑誌を読み、原宿やクラブに足しげく通い、その時のヘアスタイルやファッションを真似しようと必死でした。
今はインターネットでなんでも情報が手に入る時代。そんな時代だからこそ、自分で情報を選んで、インプットしていく。
広く浅くよりも
「 狭く 深く 」
掘り下げていっても良いのではないでしょうか。
きっとその引き出しがヘアスタイルを造る時に役に立つと僕は思います。
written by Double / 西村光太郎