HEARTS/Double Bside

HEARTS
Double

Singalong

2017,12,13
Bon Iver
「Holocene」

少し冷たく、澄んだ空気感のある歌声。
ミュージックビデオやアートワークから感じるのは低い温度感。

初めて聴いた時は、北欧やイギリス…寒い国出身のシンガーソングライターだと思っていました。しかし、出身はアメリカ・ウィスコンシン州。メンバーは10人からなる大編成バンドであり、Bon Iverとはバンド名だという事を、後々になって知りました。
 
Bon Iverとはフランス語で「Good Winter(良い冬)」を意味する”Bon Hiver”から取った言葉であり、バンド名が示す通り、彼らの音楽はまさに"冬の歌"。

バンドの中心人物であるジャスティン・バーノンは幼少期からピアノとギターを学び、中学生の頃からバンド活動を行なっていました。


そして、2002年にDeyarmond Edisonというバンドを結成。この頃はまだ、現在のような神秘的な雰囲気は影を潜めており、どちらかというとアメリカらしいフォークロックな印象ですが、ノスタルジックで少し冷たい歌声はその頃から健在。徐々に地元で人気を集め、さらなる活動の幅を広げていきます。

しかし、次第にメンバーとの確執が生まれ、音楽性の違いを理由にDeyarmond Edisonは解散。そして当時付き合っていた彼女とも別れ、さらには風邪をこじらせ病気を患ってしまう…という度重なる不幸に見舞われ、ジャスティンは地元へ戻る事を余儀無くされてしまうのです。

それでも表現を諦める事なく、父親の狩り用の山小屋にこもり、一人で黙々と曲を作り続けます。そして2007年、デビューアルバムとなる『For Emma, Forever Ago』を自主リリース。音楽メディアがこぞって大絶賛し、2008年に正式にリリースされたこのアルバムは米ビルボードチャートでも20位にランクインし、高い評価を得ました。

そしてメディアの期待が最高潮に達した2011年にリリースされたセカンドアルバム『Bon Iver,Bon Iver』は、ジャスティンが単なるフォークミュージシャンではない事が存分に証明された、2010年代を代表する傑作となりました。


この作品の製作時は、もう一人で山小屋にこもることはなく、彼が設立したレコーディングスタジオにてたくさんの才能ある仲間達と共に作り上げられました。

今回はこのアルバムの中からHoloceneという曲を紹介したいと思います。
この美しい名曲は、ぜひPVと共に聴いていただきたいです。


少し冷たく、澄んだ空気感のある歌声と、壮大で美しい風景が見事に融合しています。
それもそのはず、この美しい映像は全編アイスランドで撮影されたもの。

そしてさらに驚きなのは、世界初公開されたのはなんとナショナル・ジオグラフィックのサイトだったそうです。(※ナショナル・ジオグラフィックとは、地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化、最新事象、写真などの記事を掲載している高級誌)
 
監督はNabil Elderkinという、オーストラリア出身の映像ディレクター兼フォトグラファー。Jay-ZやDaft Punk、Frank Ocean、Kanye West、Kendrick Lamarといった、ヒップホップやテクノミュージシャンと共に活躍している監督が制作したという事にもまた驚きです。

そしてこの曲は第54回グラミー賞にて、「Song of The Year」、「Record of The Year」にノミネートされましたが、惜しくも受賞を逃してしまいます。

しかしジャスティンには、”惜しくも”という言葉は必要ないのかもしれません。なぜならグラミー賞にノミネートされる前、”New York Times”に対し、
 
「グラミー賞がアーティストのクオリティを下げてしまっている。」

と、語っていて、その後もカナダのラジオ番組にてこの発言に対し、

「全ての自分の発言に責任を持てるよ。僕は音楽が表現であり、旅であり、自分探しの手段であると信じている。だから音楽や音楽を作る事に対する業界の考え方には、少し気おくれしてしまうところがあるんだ。例えばマイケル・ジャクソンは最高だし、みんなが愛している人物だけど、彼の成功はやや異常だったと思うし、彼自身のためにもならなかったのは明らかだ。この業界のシステムは個人的にはすごく奇妙に思えるけど、みんなはそれがいいと思っている。どういう訳かそういう音楽がトップ40にいる。僕はここにじっとして黙っているわけにはいかない。」
 
とコメントしています。

そして、そんな音楽に対する真摯な想いは、グラミー賞授賞式でちょっとしたトラブルを起こしてしまうのです。新人賞はマイナーで注目度が落ちてしまうため、番組サイドは彼のバンドと著名なミュージシャンを一緒に演奏させようとしましたが、ジャスティンはこれを拒否したのです。
米国だけでも3千万人が視聴するといわれる音楽界最大の栄誉あるショーであり、知名度を上げるためにはもってこいのチャンスであったはず。
しかし売れるため、注目を集めるために自分の表現を妥協したくなかったのです。

結果的には「ベスト・オルタナティブ・アルバム」を受賞し、バンド自身も「最優秀新人賞」を受賞しました。スピーチをするためにステージに上がった彼は、「両親に感謝を」、「今回のノミネートと、ノミネートされなかった才能あるアーティスト達へ」と感謝の言葉を述べましたが、演奏のことについては何も触れませんでした。
 
度重なる不幸に見舞われ、自分を見つめ直し、それでも表現を諦めなかったジャスティンバーノン。
世界的に認められても変わらない、等身大でひたむきな姿に心を打たれます。

(おこがましいとは思いますが)同じものづくりとして謙虚に、そしてひたむきに、素敵なヘアスタイルを作り続けていきたいと思います。


Written by  松井 正太